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2021/01/27
まちづくり所感

沖縄市(1)

過日、沖縄市を訪問した。

沖縄市には2006年(H18)5月、中小機構の仕事を通して初めて訪問した。以降、2017年(H29)までの12年間、平均すると月1回のペースで沖縄市に足を運んでいた。一応、仕事である。

記憶にあるのは、2007年(H19)沖縄商工会議所まちづくりフォーラムパネルディスカッション・コーディネーター、同年コザのまち活性化アクションフォーラムパネルディスカッション・コーディネーター、同年沖縄市活性化100人委員会「中心市街地活性化部会」アドバイザー、2011年(H23)プロムナードコンサート事業のフォローアップ支援、2014年(H26)胡屋地区リノベーション事業のフォローアップ支援、そして2016年(H28)沖縄市中心市街地活性化協議会シンポジウム(パネルディスカッション)・コーディネーターなどに関わったことである。しかしながら、私は福岡から時々来る二歩も三歩も引いた部外者なので、どれだけお役に立てたのか…。

パークアベニュー

パークアベニュー

さて、沖縄市の中心市街地活性化法を運用したまちづくりは、本年3月で10年を経過する。

第1期沖縄市中心市街地活性化基本計画(H22.3~H28.3)では、「コザらしい生活ができるまち~商店街から交流街へ」というテーマのもと「胡屋地区リノベーション事業」「アーケード改修事業(胡屋地区商店街環境整備事業)」等の他、「ゲート通りで朝食を」をはじめとする多彩なソフト事業が展開された。それにより、歩行者通行量及び都市福利施設の年間利用者数ともに目標値を達成した。

第2期中心市街地活性化基本計画(H28.4~R3.3)では、「住みたい・訪れたい魅力あふれるコザのまち~来街者・居住者が集う持続可能な交流街へ~」というテーマで取組んでいる。3セクを設立して整備した商業施設コリンザはテナントが撤退して長年の間、大きな空区画ができ集客核としての機能を果たせないでいたが2017年(H29)、沖縄市立図書館を移転・整備して再生した。また、コザまちゼミも積極的な商業者を取り込んで充実、発展している。

私が初めてコザを訪問した当時に比べると、まちの様相は明らかに変わっている。どのように変わったか。

一点目は、1期、2期の沖縄市中心市街地活性化基本計画に掲げるテーマの「交流街」が具現化されている点が挙げられる。歴史を伝える施設、コザの音楽を発信する施設、子育て支援施設、ミニシアター、ダンス教室、創業支援オフィスなどなど。商店街は商業機能だけではなく文化、福祉、コミュニティ等の多様な機能も必要であり、それらを付加して再構築していくことが必要であると教科書のように言われている。考えてみれば、求められるコンテンツの殆どは、かつての商店街には存在していた筈である。それが無くなりかけて、あるいは無くなって、必要性が再認識されたため活字や言葉になって私たちに入ってくるのかもしれない。

もう一点は「新陳代謝」である。商店街の空店舗の解消やテナントの入れ替えが以前に比べて活発になったということである。民間事業者が市井の物件に対して従前とは異なる用途で使用することは何ら不思議はない。しかし、国の補助金を活用した場合は法定耐用年数に達していなければ、用途変更や売却等に関して一定の制限が掛かる。その制限を超えた「新陳代謝」も散見されるのだが、私の勘違いかも知れない。確認が必要である。何れにしても多様な形での新陳代謝が進んでいるのは事実である。

「交流街」形成と「新陳代謝」促進の背後には、「地域の人」による出店と「用途変更」の柔軟さがあると思われる。もう少し情報収集をして今後、私なりの所感を述べていきたい。

中心市街地循環バス

話は変わるが、広瀬さんも相変わらず元気で何よりだった。

広瀬さんは2010年(H22)、沖縄市地域おこし協力隊に入隊し沖縄市に来た。2012年(H24)に同隊を辞して沖縄市中心市街地活性化協議会タウンマネージャーに就任し、3年の契約期間満了を経て2015年(H17)より商店街交流広場コザBOX支援員として商店街のまちづくりに奮闘している。その他、コザ商店街連合会事務局員や合同会社イドムス・マネージャーの役職も兼ねている。

広瀬さんと一緒に街を歩くと、すれ違う人の多くが広瀬さんに挨拶して話し掛けてくるのである。広瀬さんは香川県出身のいわゆるヨソモノであるが、地域に根付き信頼されているのだと感じた。タウンマネージャーという言葉はあまり好きではないらしく、どちらかと言えばコーディネーターの方が近いそうである。なるほど坂本龍馬だ!立場や役職を変えながらも10年間、コザに関わり続けることは並大抵のことではなく、頭が下がる。

広瀬さんの考えについても話を伺った。

それらについても整理して、今後、私の所感を述べていきたい。

ちなみに、第1波のコロナ禍の直後は那覇に比べて沖縄市の個店や商店街の影響は大きくなかったらしい。広瀬さんは那覇と比較して、その理由を「固定費が安いこと」「ターゲットが地元、地域の人であること」「売上ではなく利益が確保できていること」と考えている。昨年9月の時点では廃業した店舗は無かったという。また、昨年の7月には飲食店がオープンしたとのこと。

現在、沖縄県には独自の緊急事態宣言が発出中である。

コザはいかなる状況になっているのか心配されるところである。

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